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  hiro通信         

  hiro通信         

**校長への土下座要求事件まで起きた小学校

■1.子供たちが校長に「謝れ」「土下座しろ」■

 東京都国立市立国立第2小学校で「土下座要求事件」が起こっ
たのは平成12(2000)年3月24日の事だった。[1]

 関係者によると、卒業式が終わった後の二十四日午後零
時四十分ごろ、校庭で六、七人の児童が、澤幡校長に「校
長先生は昨日、夜十二時まで先生たちと話し合った。先生
みんなが(国旗掲揚に)反対しているのに、なぜ掲げたの
か」「二小は四十九年間、掲揚しなかった」「式は私たち
のもの。旗を降ろせ」などと詰め寄ったという。

 その後、校長と、子供たち、先生、保護者の間で次のような
やりとりがなされた。[2]

A教師 校長先生、子供たちは国旗を揚げたことを怒って
いるんではなく、自分たちで作り上げてきた卒業
式を勝手に変更したことを怒っているんです。そ
のことを分かってあげてください

 《子供たちが興奮状態になり、泣き出す子も》

児童  謝れ

児童  土下座しろ

保護者 子供たちに謝ってほしい

 校長は結局「君たちにつらい思いをさせて、悪かった」と謝
罪し、子供たちはさらに「教頭はどうなんだ」「校長やめろ」
などと追い打ちをかけた。

■2.「自分にはどうしてもやらなければいけない使命がある」■

 この記事を読んだ鷲野一之氏は、この国立第2小学校への異
動を希望した。定年退職の後、世田谷区の小学校に嘱託教師と
して赴任して3年目のことだった。異動希望を聞いた校長は、
冗談と思って笑ったが、鷲野氏は真剣だった。ベテラン教師と
して「消防士が火を見たら、消したくなるのと同じで、私にとっ
てはごく自然な心境だった」[3,p19]

 子供たちが最初から、これほど極端なことが言える訳が
ないじゃないか。組合教員が今日まで用意周到な計画のも
とに、子供たちを洗脳したからだというのは、誰が見ても
明らかだ。交換日記といって日記を書かせ、組合教員が朱
で自分の思想を書き入れ、何回も繰り返しながら洗脳して
いくということをやってきた。

 教員自らが、先頭に立って反対運動をするならまだしも、
純粋な子供たちを前面に出して、自分たちは後ろに隠れて、
子供たちに言わしめる卑怯さは、天人ともに許すことはで
きない暴挙だ。そういう教員は即刻教育界から排除すべき
だ。

 国立2小の教員たちを「どうしても許せない」と思った鷲野
氏は世田谷区教育委員会にも同校への転勤を願い出た。嘱託教
員は退職した地域で勤務する、という慣例を無視した願いだっ
た。平成13(2001)年3月12日、土下座要求事件から一年後、
校長から「国立2小に決まったよ。おめでとう」と言われた。

 教員人生の最後の最後に、最も困難な職場に移ることになっ
た。「天与の使命と感じないわけにはいかない。自分にはどう
してもやらなければいけない使命がある」と鷲野氏は思った。

■3.最初の入学式■

 平成13(2001)年4月5日、入学式の前日に、鷲野氏は国立
2小の全教員の前に立ち、校長から新任として紹介された。引
き続き第一回目の職員会議。

 明日が入学式だというのに、「入学式(案)」が2種類配ら
れたので鷲野氏は驚いた。一つは「第51回入学式 校長決定
事項」として、日付も元号になっていたので、校長が出したも
のとすぐに分かった。もう一つは組合が出したもので、日付は
西暦になっていた。対立点は、もちろん国歌を入れるか、入れ
ないかだ。

 しかし、組合側は昨年の「土下座要求事件」がマスコミで全
国的に報道され、13名もの処分者を出したことで、もう戦う
姿勢は半減しているように見えた。昨年の9時間半に及ぶ職員
会議で国旗掲揚に反対した気力はもう見えなかった。

 しかし、校長が音楽の先生に国歌のピアノ伴奏をお願いする
と「私はピアノ伴奏はやりたくありません」ときっぱり断られ
た。理由は「『君が代』は本来、雅楽であるからピアノ伴奏は
適当ではない」、「自分はカトリック信者なので、『君が代』
に反対」というものだった。校長はそんな理由が成り立たない
ことを説得したが、それでも彼女は頑なに拒否した。

 次に「子供の安全についてどう考えるのか」という意見が出
された。「土下座要求事件」の時のように右翼の街宣車が60
数台も押しかけてきて子供たちの安全を脅かすのが心配だと言
う。校長は「心配ない」と答えたが、あまりにしつこいので、
鷲野氏は「みんなが国旗・国歌に反対するから右翼が来るので
しょう」と言った。これが赴任第一声だった。

 翌日の早朝、校長、教頭により、無事、屋上に国旗が掲揚さ
れた。「子供が心配だ」と反対していたが、本当に心配して早
めに来た教員はいなかった。子供たちのことを心配していたの
ではなく、単なる国旗掲揚反対のための理屈だったのである。

 一人、校門の外で反対派のビラを配っている中年の女性がい
た。入学式が始まると、その女性は来賓席に座っていた。国立
市の市議会議員の上村和子氏であった。国歌斉唱の時も、起立
しなかった。

 反体制派が学校行事にまで入り込んで、幼い子供たちの
前で反国家思想を教えようとしている。なんという人間か。
[3,p53]

■4.子供より遅く出勤する教員たち■

 4月11日の職員会議では、この年度に着任した吉田健教務
主任から教員の出勤時刻の問題が提起された。吉田主任は東京
都教育委員会から国立2小の正常化のために送り込まれた7人
のうちの一人である。

 本校に着任して生活時程を見ると、子供たちの登校が8
時15分になっていて教員の出勤が8時30分になってい
るが、この15分間は子供の安全はどうなっているのか。

 組合員からは「今までそうやってきて事故が起きなかったか
ら、今まで通りにやっていいのではないか」などと、出勤時間
を早めることへの反対意見が出た。鷲野氏は「教務主任の発言
は当然である」と援護射撃をした。

「これは団体交渉で決めます」という組合員に、鷲野氏は、
「これは組合と校長との団体交渉で決めることではない。校長
が決定すべきことだ」と一蹴した。

 普通は子供たちよりも少しでも早く出勤して、登校の様
子をみたいのが、担任の気持ちである。それが子供より遅
く出勤することを認めよというのだから、もう組合教員は
教師のなれの果てというほかない。「子供の安全」を口ぐ
せのように言っている組合員の発言がこれだから、いかに
日頃出鱈目なことをやっているか想像できる。[3,p56]

 翌日、組合代表5人が校長室に押しかけて「団体交渉」となっ
たが、鷲野氏も同席して事なきを得て、翌週の教員会議では、
校長が「教職員の出勤時刻は児童の登校時刻と同じ8時15分
にする」とした。

■5.道徳の時間をつぶそうとする「PTA学習会」■

 6月20日、「PTA学習会」が開かれた。国立市教育委員
会の持田・学校指導課長が、翌年度から実施される新教育課程
の説明を行った。20名ほどの保護者が参加したが、学校側か
らの出席は鷲野氏一人だった。

 最初に出た質問は「新教育課程においては各教科ともに時間
数が減っているのに、道徳だけは週一時間必ず確保するのはな
ぜか」だった。さらには「道徳教育を週1時間やらなくても、
学校行事を実施しているのだから、それで補うことができるの
ではないか」とも言う。この学校行事とは、毎年行っている子
供祭りのようなもので、子供たちが中心となって店を出したり
する。これが道徳教育の代わりになるはずがない。道徳教育を
廃止させるための方便に過ぎない。

 一般的な保護者ならこんな質問はしない。主催者の面々は、
国立市の共産党市政を支持する人々だった。こういう「プロ市
民」保護者が組合教員と連動して、「PTA学習会」を開き、
道徳教育をつぶそうとしているのである。持田課長は、その手
には乗らず、終始、新教育課程の本筋を述べて、閉会となった。

■6.職員室に押しかけてきたPTA役員ら20数名■

 鷲野氏はこのような内部から見た国立2小の実態を広く世に
知らせることが、自分の使命だと考え、「その後の国立2小」
と題するレポートをまとめた。これが雑誌『正論』平成13年
9月号に掲載された。その中で、前述の出勤時刻の問題や、国
歌のビアノ伴奏を拒否する音楽教師、さらには勤務時間中の組
合活動を許す「ながら条例」などの実態を明らかにした。

『正論』が出版されるや、9月6日にPTA役員など20名が
職員室に押しかけてきた。敵対勢力は数にものを言わせて押し
つぶそうという戦略である。この抗議には教頭が対応し、押し
問答の末、双方から3名づつ代表を出して話し合うことになっ
た。学校側の代表は校長、教頭、鷲野氏だった。

 PTAの代表者3人は、このような記事がマスコミに出ると、
右翼の街宣車がやってきて、子供達が危険だと言い張った。鷲
野氏が訴えた国立2小の問題そのものにはふれてこない。

 さらにPTA側から「この記事について保護者から説明を求
められれば、応じるか」との問いに、鷲野氏は次の3点を条件
に、承諾した。

・『正論』の記事を本校の全保護者に配布すること。
・全保護者を体育館に集めて鷲野氏が一人で説明にあたること。
・説明会は公開にすること。

 PTA側はこの3点を諒解したが、その後、20日経っても、
説明会は開催されなかった。『正論』の記事が全保護者に配ら
れたり、公開の説明会でマスコミの記者がやってきて学校の実
態が明らかにされたら困る、と考えたのだろう。

■7.押しかけてきた組合幹部たち■

 平成14年度の卒業式では、校長はなんとしても国旗を壇上
に掲げたいと思い、組合員で固められた行事委員会の案を拒否
し、「みなさんからの意見がありましたら検討はしますが、最
後は私が決定します」と述べた。

 2年前は9時間に及ぶ職員会議で組合員が国旗・国歌に反対
し、挙げ句の果てに「校長土下座要求事件」まで引き起こした
のだが、ようやく「私が決定します」と校長が言えるようになっ
たのである。校内においては東京都教育委員会から送り込まれ
た7人の教師と鷲野氏が校長を支え、外からは一般世論の圧力
で、組合の力をここまで後退させる事ができたのである。

 しかし、個別の抵抗はまだまだ続いた。音楽担当の佐藤美和
子教諭が、国歌斉唱の指導とピアノ伴奏をあくまで拒否したの
で、校長が「それなりの覚悟をするように」と言った所、組合
幹部の5人が校長室に押しかけてきたのだった。面会の約束も
ないまま、校長室に押し入ろうとする幹部たちに、校長と教頭
は「出て行け」と怒鳴った。こういう人間たちが、教師と称し
て、組合活動に明け暮れているのだ。

■8.「新天地を開く」■

 鷲野氏は、校長の依頼を受けて、慣れないピアノ演奏で国歌
指導を行うことになった。教員達は組合を恐れて誰もやろうと
しないので、もう鷲野氏がやるしかなくなっていたのだ。

 3月15日の第一回目の国歌指導では、校長が国歌の大切さ
を話し、続いて鷲野氏がピアノのテープ演奏をバックにまず歌っ
た。

 爽やかな興奮と感激を覚えた。本校の誰かが、かつて
「君が代」を国歌として指導したことがあったのか。50
年間に一度だってあったのか。ここは、いわば東京でも治
外法権の地であるから、そこに初めて乗り込んで新天地を
開くことになるのだ。子供たちはだんだん声が出てきた。
[3,p101]

 しかし、卒業式全体を通して練習する日になると、鷲野氏は
緊張してピアノを弾けなくなってしまった。そこで、校長がこ
んな時のことも考えて依頼していた岡部ひとみ先生が、ピンチ
ヒッターとしてピアノ伴奏をやってくれる事になった。

 平成14年3月25日、卒業式が行われた。2年前には屋上
に掲揚されて「土下座要求事件」のきっかけとなった日の丸は、
この日は壇上に掲げられていた。

■9.どこかに隠れた組合員たち■

 国歌斉唱では、子供たちの中からも声が聞こえてきた。

 その中で一際大きな女性の声が響き渡ってきた。あとで
聞くと保護者の中にソプラノ歌手がいたとの話だった。確
かめたわけではないが、大きなプレゼントをしてくれた。
「国歌はこのように歌うんですよ」と言わんばかりの歌い
ぶりだった。国歌斉唱のときは本校の教職員席は空席が目
立った。組合員は歌うことはできないし、歌わないと意思
表示する勇気もないし、ただ、どこかに隠れるより方法が
なかったのだろう。日本人からの逃避である。

 あの二年前の「土下座要求事件」はいったい何だったの
か。純粋な子供たちの中に自己のイデオロギーを植え付け
てきた組合員たちよ。壇上に掲げられた国旗を見上げてど
う思っているのか。・・・反対ならばどうしてそれを一貫
して押し通さないのか。職を賭してもやるべきだったので
はないか。[3,p104]

 こうして組合教員とプロ市民PTAに密室支配されていた
国立2小に日の丸が掲げられ、日の光が差し込んだ。その光を
恐れて、今まで暗黒の密室の中に巣くっていた組合教員やプロ
市民たちは、姿をくらましてしまったのである。
(文責:伊勢雅臣)


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